Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
色々な動画見てますが、難しい難易度でこう言うのをやりきっていける主さんプレイが上手すぎませんか…?あと3人の掛け合いが面白すぎてたまにやりながら笑いますわwww女性…そんなに少ないの…?(私3%の中の1人で草)
公孫瓚は劉備達が黄巾と戦う時に軍に入れてもらってたはず🤔
ノッブ、びんぼっちゃまスタイルを気に入ってて草、そして木馬の王子様を名乗るのは大草原
おっと、蔡氏の誘惑をみて帰蝶がアップを開始しました!アル〇ックリョッフwwww何だったらリョッフがドロボーするんですがwwww三国一信用出来ない警備員爆誕🤣
蹋頓は烏桓族の王で騎馬民族をまとめ上げた北方のつわものですねしかし張遼と郭嘉に敗れました
ちなみに媒体によっては夏侯惇の片目をつぶした犯人になったりする徐栄。
13:59 白狼山の戦いと郭嘉烏桓(うがん)族です。満州付近にいた異民族です。官渡の戦いの後に袁紹が病死すると長男の袁譚と三男袁尚が互いに仲間割れし、袁譚は曹操により討ち取られ、袁尚は烏桓王である蹋頓(とうとん)を頼ります。この時、曹操軍は郭嘉の献策である荷駄隊(補給部隊)を置いて精鋭騎兵により奇襲をかけることを実行し、遭遇戦(陣形を整えるまでもなく偶発的に起こる戦い)になり、一時的に危機的になりますが虎豹騎(こひょうき、曹操軍の奥義である重騎兵隊)の活躍により蹋頓を討ち取り、烏桓を降伏させます(『白狼山の戦い』。郭嘉の奇才『兵貴神速』はここから)。その後遼東に逃げた袁尚らは公孫康に斬首されて袁家は滅びます。曹操は華北を制圧しましたが、体が弱く、後を任せようとした郭嘉を失う損失をし、赤壁の戦いで曹操が敗れた時『奉孝(郭嘉の字)がいればこんな事にはならなかった』と嘆かせたと言われています。
3:46 お前のやった事は、全部すべてまるっとすりっとごりっとエブリシングお見通しだ!6:19 孫の幻を見てる人13:45 なぜベストを尽くさないのか14:02 警部補 矢部謙三14:14 さり気なくズラを押さえる人14:24 ケーキ入刀15:00 座頭市16:20 Gを仕留める最後の瞬間16:30 岩田康誠18:00 少年よ大志を抱け
生き甲斐(今日は忙しいので明日見させてもらいますね(´;ω;`))
今作は武将プレイで都督くらいまでいくと途端にダレがちですね、、、子ども15歳になるまでにほとんどクリアしちゃうし5年くらいすっ飛ばせたりしたらいいと思った。
桃園三兄弟がバラバラに…これは三国志版ロミジュリ展開くるー?
小学生で皇帝とかよばれてたシュナイダーさん・・・(C翼)
ノッブは董卓とかと相性良かったんで、董卓と一番相性が悪い劉備または劉備と関係ある人物とは仲良くなりにくいですね。
劉虞さんは本当に袁紹からのあだ名が皇帝ですね(笑)経緯が複雑なのですが董卓が当時皇帝だった霊帝を殺して献帝を立てたためそれに対抗して袁紹が後漢初代の光武帝の長男の子孫と正当性が最上位の皇族で名声も高い劉虞を皇帝に担ぎ上げたが劉虞は勝手に皇帝名乗るのはダメだと断ったという流れです
視聴者に3%も女性いるのビックリ!登録者数からして300人ですぞ!ハーレムやん!(違う公孫瓚滅亡のときにせっかくねっちょりボイスにしたのに出番無かったのは減点だなあ。
(寝)突き合い
鳥垣…字も読みもどっちも合ってないww>烏桓(うがんこ)現在の中国北部にいた異民族の事で「烏丸」とも書きます漢の初期の頃に、北方の騎馬民族であった匈奴(きょうど、高校の世界史にも出てくるかと)が同じ北方異民族の東胡(とうこ)を滅ぼした際、その生き残りがそれぞれ烏桓山と鮮卑山に逃れて、このうち烏桓山の勢力が「烏桓」、鮮卑山の勢力が「鮮卑(せんぴ)」として勢力を保ちました。烏桓も鮮卑も当初は匈奴に従っていたのですが、徐々に匈奴の勢力が衰退して立場が逆転するようになって、最終的に匈奴を追い出し、それぞれ中国の北方に陣取る勢力になります。漢王朝とは双方とも朝貢を通じて臣従するのですが、時には漢王朝に逆らって侵入して荒らしまくったり、時には烏桓と鮮卑がバトったりと、くっ付いたり離れたりと異民族として勢力を保つとともに、度々漢の領土内に侵入してきたので、漢にとってみれば両方とも悩みの種になっていました。漢王朝も末期になると、烏桓では丘力居(きゅうりのQちゃん…じゃないきゅうりききょ)などが勢力を付けて王を名乗り、たびたび漢の北方に侵略して掠奪を繰り返していました。丘力居が亡くなると、武勇に優れた蹋頓(とうとん)が新たに部族の長になり、袁紹と結んで公孫瓚を攻撃したり、袁紹から独立を認められるなど厚遇されます。後に袁紹が亡くなり、袁譚・袁尚が後継争いをしている間に曹操が台頭してきたことで、蹋頓が敗走した袁尚を匿ったことで曹操から敵認定され、最終的に討伐を受けて蹋頓が斬られたことで、最終的に曹操に降伏することになります。曹操は烏桓の民を漢の土地に移住させて、勇壮だった烏桓の騎兵を自分の兵に取り込むことで兵力増強に成功して、魏の天下取りの手足として使う事になりました(一方で鮮卑は魏に取り込まれず、独立を保っており、後に南北朝時代には晋に代わって様々な王朝を建てている)。
うぽっつん❗️
女性比率を上げるためにこの動画にコメントした私以外の人を全員女にしたいと思います。
色々な動画見てますが、難しい難易度でこう言うのをやりきっていける主さんプレイが上手すぎませんか…?あと3人の掛け合いが面白すぎてたまにやりながら笑いますわwww
女性…そんなに少ないの…?(私3%の中の1人で草)
公孫瓚は劉備達が黄巾と戦う時に軍に入れてもらってたはず🤔
ノッブ、びんぼっちゃまスタイルを気に入ってて草、そして木馬の王子様を名乗るのは大草原
おっと、蔡氏の誘惑をみて帰蝶がアップを開始しました!
アル〇ックリョッフwwww
何だったらリョッフがドロボーするんですがwwww
三国一信用出来ない警備員爆誕🤣
蹋頓は烏桓族の王で騎馬民族をまとめ上げた北方のつわものですね
しかし張遼と郭嘉に敗れました
ちなみに媒体によっては夏侯惇の片目をつぶした犯人になったりする徐栄。
13:59 白狼山の戦いと郭嘉
烏桓(うがん)族です。満州付近にいた異民族です。
官渡の戦いの後に袁紹が病死すると長男の袁譚と三男袁尚が互いに仲間割れし、袁譚は曹操により討ち取られ、袁尚は烏桓王である蹋頓(とうとん)を頼ります。
この時、曹操軍は郭嘉の献策である荷駄隊(補給部隊)を置いて精鋭騎兵により奇襲をかけることを実行し、遭遇戦(陣形を整えるまでもなく偶発的に起こる戦い)になり、一時的に危機的になりますが虎豹騎(こひょうき、曹操軍の奥義である重騎兵隊)の活躍により蹋頓を討ち取り、烏桓を降伏させます(『白狼山の戦い』。郭嘉の奇才『兵貴神速』はここから)。
その後遼東に逃げた袁尚らは公孫康に斬首されて袁家は滅びます。曹操は華北を制圧しましたが、体が弱く、後を任せようとした郭嘉を失う損失をし、赤壁の戦いで曹操が敗れた時
『奉孝(郭嘉の字)がいればこんな事にはならなかった』
と嘆かせたと言われています。
3:46 お前のやった事は、全部すべてまるっとすりっとごりっとエブリシングお見通しだ!
6:19 孫の幻を見てる人
13:45 なぜベストを尽くさないのか
14:02 警部補 矢部謙三
14:14 さり気なくズラを押さえる人
14:24 ケーキ入刀
15:00 座頭市
16:20 Gを仕留める最後の瞬間
16:30 岩田康誠
18:00 少年よ大志を抱け
生き甲斐(今日は忙しいので明日見させてもらいますね(´;ω;`))
今作は武将プレイで都督くらいまでいくと途端にダレがちですね、、、
子ども15歳になるまでにほとんどクリアしちゃうし5年くらいすっ飛ばせたりしたらいいと思った。
桃園三兄弟がバラバラに…
これは三国志版ロミジュリ展開くるー?
小学生で皇帝とかよばれてたシュナイダーさん・・・(C翼)
ノッブは董卓とかと相性良かったんで、董卓と一番相性が悪い劉備または劉備と関係ある人物とは仲良くなりにくいですね。
劉虞さんは本当に袁紹からのあだ名が皇帝ですね(笑)
経緯が複雑なのですが董卓が当時皇帝だった霊帝を殺して献帝を立てたため
それに対抗して袁紹が後漢初代の光武帝の長男の子孫と正当性が最上位の皇族で名声も高い劉虞を皇帝に担ぎ上げたが
劉虞は勝手に皇帝名乗るのはダメだと断ったという流れです
視聴者に3%も女性いるのビックリ!登録者数からして300人ですぞ!ハーレムやん!(違う
公孫瓚滅亡のときにせっかくねっちょりボイスにしたのに出番無かったのは減点だなあ。
(寝)突き合い
鳥垣…字も読みもどっちも合ってないww
>烏桓(うがんこ)
現在の中国北部にいた異民族の事で「烏丸」とも書きます
漢の初期の頃に、北方の騎馬民族であった匈奴(きょうど、高校の世界史にも出てくるかと)が同じ北方異民族の東胡(とうこ)を滅ぼした際、その生き残りがそれぞれ烏桓山と鮮卑山に逃れて、このうち烏桓山の勢力が「烏桓」、鮮卑山の勢力が「鮮卑(せんぴ)」として勢力を保ちました。
烏桓も鮮卑も当初は匈奴に従っていたのですが、徐々に匈奴の勢力が衰退して立場が逆転するようになって、最終的に匈奴を追い出し、それぞれ中国の北方に陣取る勢力になります。漢王朝とは双方とも朝貢を通じて臣従するのですが、時には漢王朝に逆らって侵入して荒らしまくったり、時には烏桓と鮮卑がバトったりと、くっ付いたり離れたりと異民族として勢力を保つとともに、度々漢の領土内に侵入してきたので、漢にとってみれば両方とも悩みの種になっていました。
漢王朝も末期になると、烏桓では丘力居(きゅうりのQちゃん…じゃないきゅうりききょ)などが勢力を付けて王を名乗り、たびたび漢の北方に侵略して掠奪を繰り返していました。丘力居が亡くなると、武勇に優れた蹋頓(とうとん)が新たに部族の長になり、袁紹と結んで公孫瓚を攻撃したり、袁紹から独立を認められるなど厚遇されます。
後に袁紹が亡くなり、袁譚・袁尚が後継争いをしている間に曹操が台頭してきたことで、蹋頓が敗走した袁尚を匿ったことで曹操から敵認定され、最終的に討伐を受けて蹋頓が斬られたことで、最終的に曹操に降伏することになります。
曹操は烏桓の民を漢の土地に移住させて、勇壮だった烏桓の騎兵を自分の兵に取り込むことで兵力増強に成功して、魏の天下取りの手足として使う事になりました(一方で鮮卑は魏に取り込まれず、独立を保っており、後に南北朝時代には晋に代わって様々な王朝を建てている)。
うぽっつん❗️
女性比率を上げるためにこの動画にコメントした私以外の人を全員女にしたいと思います。